『35歳までにものにしなければならなかった』

「父親にカメラ貸してと頼んだら、このカメラを貸してくれました。どこに出しても恥ずかしくないぞと言いながら」とバッグから取り出して見せてくれたのが、コンタックスT3。コンパクトタイプのフィルムカメラではあるものの、外装は高級素材であるチタンを採用、レンズもカールツァイス製であるなどマニアックなカメラだ。

そのことを先の写真家・安達さんに話すと、今度はフィルムを12本もらい、そこから杉山さんのカメラ・写真との付き合いが本格的に始まったのである。同時に写真の学校にも通い始め、表現を模索するようになる。ある時などは鶏卵紙をつくりそこからプリントをつくってみたり、デジタルネガを出力しモノクロ銀塩印画紙にプリントしたりと次第に拘るようにもなってきた。ところが、そんなある日ご主人様からお願いをされる。

「とりあえず好きなことやっていいけど、35歳になってものになってなかったら止めてねと言われたのです。すでにその時33歳。時間的に2年ほどしかありませんでした。自分の好きなことの中で、あるいは自分がこれからやりたいことのなかで、世の中に役に立てるようなことを見つけてやって行こうと思いました」と話す。その時点で杉山さんは鶏卵紙やデジタルネガをスパっと止め、とりあえず“普通”の写真を撮りながら考えていくことにした。2013年のことである。そんなある日、以前から人づてに話を聞いていた代官山の蔦屋書店に行ってみることに。そこには、運命的な出会いが待っていた。

「ちょうどフィルム一眼レフのライカR6.2を使い始めたばかりでしたので、ライカの看板が出ていた蔦屋書店のなかの北村写真機店に入ってみました。そして店内を1周回った時に、私ここで働こうと思ってしまったのです。すぐに店員さんを捕まえて『すいません。このお店、とっても好きです。ここで働きたいと思っていますが、求人ありますか?』って思わず尋ねてしまいました」


もちろんその1ヶ月後には代官山北村写真機店の店頭に立っていたことは言うまでもない。

デパートでのサクラスリング展示販売の様子(サクラスリングプロジェクト提供)

「お土産のパレオがサクラスリング第一号」

通っていた写真教室でのグループ写真展もちょうどそのころに開催する。杉山さんにとっては初めての写真展でもあった。「写真展は、すごいたくさんの人が見に来てくれて、高校の友達とか地元の友達もそうだし、その写真で知り合った人たちもそうだし、ママ友もそう。そのようななかで、私は自分の作品の前で自分がしたいことなど熱くお話しする機会となって、すごく楽しい時間を過ごすことができました」と振り返る。

そしてこの写真展が、サクラスリングを多くのひとが知る機会になったのである。以前から愛用するライカR6.2が重いと感じていた杉山さん。知人からハワイのお土産でもらったパレオをストラップとして使用していたのである。

「周りからはライカに布のストラップなんて、と言われたりもしたんですけど、何人かの方は、これはすごい、大発明じゃないですかって言ってくださいました。働き始めた代官山北村写真機店の店長からは、商品化したらどうですかってうれしい提案もいただきました」

そのとき杉山さんは気が付いたのである。もしかしたら、このスリングスタイルを商品化するのが、自分のこれからやることだと。そして、そのためには起業する必要があることを。


「2年間いろいろやってきたけど、そういうことなんだって思っちゃったんです。写真のおかげで私は人生を選ぶってこともだいぶ上手になっていたので気が付いた。これを形にして世の中に出して、いただいた利益で写真展もできる。しかも、このスタイルはすごく便利だし、きっと世界中の人の役に立つ。肩こりで困っている人とかにも、絶対役に立つからちゃんと形にしようと、私の中で陽が差したように明るくビジョンが見えてきたんです。それに気付いた瞬間、ちょっとがっかりもしちゃいましたが」と笑う。

杉山さんが最初につくったスリング。お土産のパレオを素材に自身で縫製を行った(サクラスリングプロジェクト提供)

『ママ友、パパ友が心強い味方に』

事業とするにあたって力なってくれたのが、三人の子どもたちの縁でできたママ友、パパ友。杉山さんのご自宅は都心部ということもあり、ビジネスでも第一線で働いているひとや、会社経営者、士業に携わるひとなど特に多い。もちろんママ友、パパ友のなかにもそのような人が少なくなく、会社の立ち上げから、商標などの登録、法務関連などアドバイスやサポートをしてくれたと言う。

「デザイナーさんだったり、アパレルメーカーのビジネスパーソンだったりと、いろんなお仕事をしているママ友がいたので、生地ってどういうのがいいかなって相談したら、『さくらちゃん、これだったらねポリエステルの生地がいいよ、今度知り合いの生地屋さん紹介するね』とか言ってくれるんですね。結局自分で門を叩く感覚じゃなくて、紹介して繋いでもらうという感じで広がっていきました」と語る。事業を起こすにはとても恵まれた環境にいたことも大きく影響していると言えるだろう。

そこからは本人自身が驚いてしまうほどの展開となるのである。まず、2014年12月、杉山さん自身が務める代官山北村写真機店での取り扱いが始まる。「出退勤の時とか店長さんから、じゃあ杉山さん次10本をお願いねって言われ、その日の夜に自分で縫い、出勤の時に10本持ってきて、自分で納品処理して、タグ付けて、陳列して、接客して、レジ打って、最後の最後に『これ実は私が作ったんです』っていう流れで販売させてもらいました」と当時を振り返る。

サクラスリングを事業化するにあたり書き込んだファイル。起業に関することから製造、販売まで事細かく詳細にわたって書き込まれている

おすすめの記事